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従来のフロント機能も存在するが、「ホテル西洋銀座」をほうふつさせるレセプション&ライブラリー「徒然(つれづれ)文庫」。旅の予感はここから始まる
小生が大学を卒業して初めて社会を教えてくれた勤め先が「十字屋」というヤマハの特約店、京都では今もって最大の楽器店である。家業の染屋を継ぐのに反発し、丁稚奉公だけは避けたくて自分で選んだ就職口だが、月に100枚は買いあさっていたであろうレコードがちょっとでも安く買える、と安易に選んだ会社。本来ならその大好きな売り場に居座るはずだったが、履歴書に「ハワイで毎年サーフィン」とかつまらないことを書いたばっかりに、ヤマハリゾートの案内を主とする旅行代理部門に配属されるはめになってしまった。そこに勤めて何年目だろうか、家業が亀岡の湯の花温泉「すみや」という旅館の娘さんが後輩として配属されてきたことを、今も昨日のことのように覚えている・・・。

1977年にふらりと訪れた際に残していった、ジョン・レノン氏のイラスト+オノ・ヨーコさんのメッセージ「夢をもとう」が書かれたオウトグラフ。ゲストが申し出れば、特別に見せてもらえるとのこと
その彼女がよく職場の仲間を募っては、わが家のように「すみや旅館」に招いてくれたことも今となってはよき思い出である。往時からジョン・レノン&オノ・ヨーコ夫妻がふらりと訪ね泊まったという話を聞かされていたのだが、今回やっとの思いでその証拠を目にすることができ、いたく感動する。前身が木炭商だったことからその屋号を「すみや」と称した旅館は、新館「山の菴(いおり)」増築を機に「すみや亀峰菴(きほうあん)」と改名、まだ民芸調の風合いが残る1977 年に、二人がこの地この宿に何ゆえ迷い込んだかは知る由もないが、そのエピソードに決して恥じぬ旅館を以後も築いていくに違いない、と小生はひそかな期待を寄せるのであった。
京都の染屋に生まれ育ち半世紀、温故知新を追究するあまり物見遊山な精神だけが旺盛になり、家業に戻れず添乗員時代を経て雑誌編集の仕事にどっぷり浸かる。地元に蠢く象徴的貧困な観光客の姿とその紋切り型行動に辟易し、京都人ならではの町歩きを心掛ける。故・雁之助氏の「裸の大将」を舞台公演にて受け継ぐ芦屋小雁を師匠とする京のご意見番。 「ミシュラン」はガイドブックより断然タイヤの方が優れていると、思う一人である。
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