オーストラリア

ロンリープラネット コラム集

ザ・ガン

ノーザンテリトリー

オーストラリアの中心への旅

ザ・ガンGhanは、オーストラリアで最もすばらしい列車の旅のひとつに挙げられる。鉄道が敷き直されからこの20数年ほどの間に、旅はさらに速く、そして快適になっている。風雨にさらされた古い列車が「ザ・ガンの古きよき時代」のノスタルジーを物語る一方で、オーストラリアの中心への旅はいまなおすばらしく、この地域が遠く隔絶された土地であることを、身をもって味わえるだろう。


ザ・ガンの物語は、アデレードからダーウィンまでの鉄道建設が決定された1877年に始まった。アリス・スプリングスへ到達するまでには結局 50年以上かかり、ダーウィンに至る最後の1500kmは1世紀以上も遅れて、ごく最近になって完成した。まったくの初期に犯した大きなミスが根本的な問題となってきたが、それがようやく解決されたのは1980年のことだった。当初、線路は不適切な場所に敷かれていたのだ。

マーリーMarree北部では小川の河床が干上がっていること、そして誰も雨を見たことがないことから、将来的にも雨が降らないだろうと判断したが、これが致命的な間違いとなった。実際、当初の線路は氾濫原の真上を通っており、雨が降れば、すぐに乾きはするものの、線路はあっさり崩壊した。最初のガンの線路は1世紀以上も、定期的に土砂崩れに見舞われる状況を耐えた。



アフガニスタン人のラクダ引き=ガン

路線選びを間違えたことは、ザ・ガンが抱える問題点のほんの一部にすぎなかった。地盤が弱く、枕木は軽すぎ、急勾配が救いようもなく続いていたのだ。オールド・ガンの最高速度がほんの時速30kmしかなかったのも、まったく意外なことではない。初期の鉄道旅行者は、アデレードからマーリーまで広軌鉄道で行き、そこから狭軌鉄道でウードナダッタOodnadattaまで進み、 さらにアリス・スプリングスまでの最終行程をキャメル・トレイン(ラクダ隊)で旅しなければならなかった。アウトバックを通る交通手段を開拓したのはアフガニスタン人のラクダ引きであり、これがザ・ガンの名前の由来(「アフガン」の「ガン」)になった。



オールド・ガン最後の勇姿は映画「マッドマックス」で

1929年になってようやく、鉄道はウードナダッタからアリス・スプリングスまで延長された。ザ・ガンの旅はわくわくするような大冒険だったが、とても快適といえる代物ではなかった。最良の時期でも常に遅れ、ひどい線路が続くため跳ねたり急発進したりして乗り心地も悪かった。もっと悪いのは予定通りに進まず、運営費も高くつくことだった。そして何よりも最悪なのは、激しい雨が降ると出発地や到着地だけでなく、途中ですらも立ち往生してしまうことだった。取り残された列車の乗客のために、パラシュートを使って物資を投下することが、アウトバックの知恵の1つに加えられた。ザ・ガンは、ある時などは10日も遅れて到着した。


1970年代初めまでには、サウス・オーストラリア州の鉄道運営は連邦政府に引き継がれ、ポート・オーガスタ北西のタークーラTarcoolaからアリス・スプリングスまで、大陸横断の新しい広軌鉄道を建設する計画ができた。もちろん雨で洗い流されない場所に、だ。そして1980年に、予定より早くしかも予算内で完成した。


1982年にオールド・ガンが最後の運転を終えると、すぐに旧線が外された。最後の勇姿は、映画「マッドマックス/サンダードームMad Max III」に収められている。旧鉄道では乗客140人を、調子がいい時で50時間かかって運んでいたのに対し、新しい鉄道は倍の乗客を載せ、およそ20時間で走っている。これまで通り、ザ・ガンだが、その旅はかつてとはまるで違うものになったのだ。

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