オーストラリア

ロンリープラネット コラム集

砂漠の中の秘密

サウス・オーストラリア州

サウス・オーストラリア州の乾燥地帯のアウトバックは、世界で最も荒れ果てた場所に見えるかもしれない。実際にはこの地域には、ここを故郷とするアボリジニの人々のさまざまな共同体もあるのだが、全く何もない場所とみなされることが多い。このことが少ない人口や独特の環境とも相まって、州で最もへんぴなこの土地を、いくたびか大きな国際ドラマの中心舞台にしたのだった。

オーストラリア横断鉄道に近いマラリンガでは1952〜63年、イギリス政府が7回にわたって核爆弾を爆発させ、それ以外にも数百回にわたる核実験を繰り返した。実験は伝統的にアボリジニのチャルトジャ部族のものとされてきた土地で行われた。人々は実験場からヤラッタなどに強制移住させられたが、多くのアボリジニたちが放射性の死の灰にさらされた。

1985年、イギリスの核実験に関する王立委員会の決定によって死の灰の除去作業が行われ、作業は2000年に完了した。しかしその効果には強い疑問の声が上がった。2003年に実験場の土地は元のアボリジニの人々に返還された。

しかしこれとは別に、州内の砂漠のかなりの部分が核関連の産業に利用されてきている。ロクスビー・ダウンズ近くにあるオリンピック・ダムでは、ウランの採掘施設の是非が長い間論争になってきた。また、フリンダーズ山脈の近くで2000年に操業を開始したアメリカ企業保有のベヴァリー・ウラン鉱山では、インシチュリーチングと呼ばれる、鉱床から直接成分を抽出する採鉱法が批判を浴びている。環境保護団体や、先祖の代から土地を所有する地元の人々は、貴重な地下水が汚染されることを恐れているのだ。州内の砂漠にはさらにウラン鉱山を開発する計画も出ている。

アデレードの490km北にあるウーメラは、イギリスが極秘のうちに実験を進めていたロケットの発射基地として使われ、1950年代から60年代にかけてヨーロッパの人工衛星を打ち上げる計画(結局失敗に終わった)のための実験が行われた。ウーメラ立入制限区域は州の中央に広大な面積を占めているし、ウーメラの町自体も1982年までは部外者の立ち入りが禁止されていた。

1971年からは、アメリカ人が多くを占めるヌルンガル(ウーメラのやや南方)の共同防衛施設に対する食料やサービスの供給がウーメラの主な産業になった。冷戦時代、この施設はアメリカの防衛戦略にとって重要な施設で、当時のソ連は核攻撃目標の上位10カ所の中に入れていたと言われる。もう少し後では、1991年の湾岸戦争当時、この諜報施設はイラクのミサイル発射を監視するのに重要な役割を果たした。このことは、先祖からこの土地を受け継ぐコカタ部族の人々や平和団体の強い抗議を巻き起こした。

ヌルンガルの施設が1999年10月に閉鎖され、町の人口が激減すると、今度はやっかいなウーメラ収容センターを受け入れた。オーストラリアへビザなしで入国した不法入国者や亡命希望者は、入国管理当局が難民認定するかどうか決定するまでの期間、ここに収容されたのだ。収容者はほとんどが中東や東南アジアの人たちだった。

申請や異議申し立ての手続きで長々と待たされたことなどが要因となり、センター内では一触即発の状況が生まれた。暴動やハンガーストライキ、そして周辺の砂漠への脱走を試みる様子などがオーストラリア全国のテレビに映し出された。2003年、センターは役割が縮小され予備的な施設となった。

ウーメラは、ロケット発射場を商業衛星の打ち上げ基地として利用する計画に一縷の望みをつないできた。しかし振興策として現実味が強いのは、この地域に低レベル放射性廃棄物の処分場を建設するという連邦政府の計画のほうなのである。

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