オーストラリア

ロンリープラネット コラム集

ゴールド・フィーバー

ヴィクトリア州

1851年5月、E・H・ハーグレーブズがニュー・サウス・ウェールズ州のバサースト近郊で金を発見すると、センセーショナルな記事を見た者たちが、すべてを投げ打って運を試そうと大勢押し寄せた。

発見のニュースは、ニュー・サウス・ウェールズの人々の大騒ぎ振りを伝える記事と共に、メルボルンに届いた。シドニーは現実に労働力を奪われ続け、同じ不幸がすぐにメルボルンを脅かすようになる。

メルボルンから300km以内で金を発見した者は、誰もが自分のものにできた。1週間と経たないうちに、ヤラ川でも金が見つかったが、クルーンズでの大規模な発見ですぐにかすんでしまう。北へ向かっていた流れは向きを変え、一獲千金を夢見る者はヴィクトリア州の中央部を目指してマレー川を渡った。ヴィクトリア州では毎週のように新たな金が見つかった。

その後ピレニーズ、ワランダイト、ブニニョン、さらにはロッドン、アヴォーカ川でも金が出た。1851年9月にはバララットでこれまでで最大規模の発見があり、ベンディゴ、アレクサンダー山、ビーチワース、ワルハラ、オーメオ、そしてグレート・ディヴァイディング山脈の丘陵地帯やクリークなどでの大規模な発見が後に続く。

1851年末までに約25万オンスの金が採掘された。農場や商店は労働力を失い、廃業する者も少なくなく、経営者は労働者の後を追って金の採掘地へ向かうしかなかった。希望を抱いた採掘者はイギリス、アイルランド、ヨーロッパ、中国、そして衰退の一途をたどっていたカリフォルニアの採掘地からもやって来た。1852年には毎週約1800人がメルボルンに到着していた。

政府はすべての採掘者に月30シリングの許可料を課した。採掘権を得た者は8フィート四方(約6m2)の土地を掘る権利を手にしたが、同時に即席の法律で縛られるようになる。許可証を持たない採掘者には、罰金を課すか投獄することができた。これが後に深刻な社会不安を引き起こすことになるが、カリフォルニアのゴールドラッシュで顕著だった無法状態は避けられた。

このゴールドラッシュのフィーバーには、労働による腰痛、体に悪い食事、大量の飲酒、ひどい生活レベルなどの昔ながらの問題が伴った。驚くような富を得たのは一部の者だけで、多くにはかなわぬ夢でしかなかった。すべての成功話の裏には、限りない苦難と絶望と死があった。

ゴールドラッシュには、ならず者という副産物もあった。悪名高いブッシュレンジャーもいたが、英雄も生まれた。ユーリカ砦の犠牲者たちである。採掘者たちの反乱は、入植地に政治的変革をもたらした。

いずれにせよゴールドラッシュによって、ヴィクトリア州は発展し、物質的に豊かな素晴らしい時代を迎えることになる。白人によってそれまで手つかずだった広大な土地も、新たに開発された。

ゴールドラッシュの最初の12年間でヴィクトリア州の人口は7万7000から54万人にまで膨れ上がった。人口、大量の金、物資の移動に伴って、道路や鉄道網の建設も加速する。

その後の数十年間、個人の採掘者に代わった採掘業者は、この地域に大規模な投資を行った。巨大なバラック地区のテント、樹皮の小屋、騒々しいバー、警察のキャンプが、木材や石でできた建物に取って代わり、ヴィクトリア州の多くの地方都市の基盤となった。

金鉱の町は1880年代に輝きの頂点を極めた。金は徐々にその重要性を失っていったが、それまでに金鉱の町は安定した人口と農業そのほかの基礎を築き、経済的繁栄を維持した。

金によってメルボルンはオーストラリア最大の都市かつ金融の中心地になり、その地位は半世紀近く続くことになる。

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