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ハワイガイド|ノース・ショア - MSNトラベル×ロンリープラネット

ハワイ

エリア別ガイド

ノース・ショア

喧騒のワイキキがオアフの代表的イメージなら、ノース・ショアは伝説の波の地だ。点在する町や、夏にはまぶしいほど輝き、冬には30フィート(9m)の高波が押し寄せるビーチの数々と、いろいろな意味でノース・ショアはまさにこの島の魂といえる。バンザイ・パイプラインBanzai Pipeline(またはパイプラインPipeline)、ワイメアWaimea、サンセット・ビーチSunset Beachといったノース・ショアのビーチは、世界中のトップ・サーファーを惹き付けている。ブルース・ブラウンの1964年の名作「エンドレス・サマーEndless Summer」に始まり、1960年代以降、サーフィン映画といえば必ずこれらのビーチが登場する。だが季節を問わず、ここはにぎやかなホノルルとは別世界だ。ダイバーたちは、たいてい一目散に海に突進していく。カメハメハ・ハイウェイ沿いでは、道路わきの小石を埋めた床のダイナーやランチ・ワゴンで、高級レストランと同じ沈む夕日を眺められる。

最も早い時期にオアフに到着したポリネシア人たちは、ノース・ショアの虜になってしまった。彼らは波ではなく、豊かな漁場、涼しい貿易風、適度に降る雨に惹き付けられたのだ。モクレイア、ハレイワ、ワイメア周辺の地域には、かつてはかなり大きなハワイ人集落があった。1900年代前半までには、オアフ鉄道・土地会社O‘ahu Railroad & Land Companyがノース・ショアとホノルルを鉄道で結び、町から最初の海水浴客を運んでくるようになる。それからしばらくは、ホテルや個人所有のビーチハウスが次々と建設されていったが、鉄道が廃線となる1940年代までには大部分が消えていった。1950年代に入るとワイキキのサーファーたちがノース・ショアの波に乗り始め、数年後には大規模なサーフィンの競技会が開かれるようになった。

現在でもサーフィンは、人々の想像力に火をつけ続けている。もちろん、ノース・ショアのブレークの全部が全部有名というわけではないが、アバランチAvalanche、ハンマー・ヘッドHammer Heads、ピラミッドPyramids、フジFujis、グラス・ドアGlass Doors、ログ・キャビンLog Cabins、ヒマラヤHimalayas、レフト・オーバーLeft-Oversなんて名前のブレークは、明らかに新米サーファーには歯が立たない。

11〜2月にかけては巨大な波が来たともなれば、あっという間にホノルルのトップニュースとなり、「波が来た!Surf’s up!」なんて言葉が飛び交う。そんなときはノース・ショアの人口の半分は海へ出て、波に乗るか、安全な場所でサーファーたちの技にくぎ付けになってしまう。週末の交通渋滞を避けたいなら、ノース・ショアへは平日向かおう。平日は、海へ行かない人口のもう半分がホノルルへ仕事に出ている。

ハレイワ

人口2300人

ノース・ショアの入口となるハレイワは、オアフ一周日帰りツアーで訪れる観光客が多い。何世代もハレイワに住んでいる家族、もっと最近やって来たサーファー、アーティスト、ニューエイジャーと、住民はさまざまな人々が入り交じっている。

オリエンテーション

ハレイワの店のほとんどは、目抜き通りのカメハメハ通りKamehameha Ave沿いにある。ハレイワには、2つのビーチ・パークにはさまれた、絵のように美しいボート・ハーバーがある。片側のハレイワ・アリイ・ビーチ・パークHale‘iwa Ali‘i Beach Parkはノース・ショアで一年を通して最も安全に水泳できるビーチとして知られている。

ボート・ハーバーに河口を開くアナフル川Anahulu Riverはには、レインボー・ブリッジRainbow Bridgeが架かっている。1832年、ノース・ショアにやって来た初めての宣教師、ジョンとウルスラのエマーソン夫妻は、川の土手に草葺きの家とミッション・スクールを建て、大きなグンカンドリ(イワiwa)の家(ハレhale)という意味の、ハレイワという名前を付けた。そしてハレイワはやがて村の名前となったのだ。

ワイメア

人口2300人

ワイメアは海岸沿いに広がるのんびりとしたビーチの町。露店やファンキーなランチ・ワゴンが点々と並ぶ町には、カラフルなサロンが風になびき、行き交う人はたいていこんがり日焼けしている。ビーチはほとんど町の公民館といった感じで、友達と会うのもビーチ、たまり場もビーチだし、天気がいい日は海へ出ればいい。ついでに言えば、天気の悪い日だって!

歴史

ワイメア渓谷Waimea Valleyには、かつてかなりの人口が暮らしていた。低地にはタロイモの段々畑が連なり、谷の斜面には居住区が点在し、尾根の上にはヘイアウが立っていた。現在ワイメア川Waimea Riverはビーチのところで遮られているが、もとは湾に流れ込む川で、カヌーで上流の村へ向かう水路となっていた。ワイメアのハワイの人々は15世紀からヘエ・ナルhe‘e nalu(波滑り)をやっていたので、この町とサーフィンとの付き合いはその頃からだ。

ワイアルア

ハレイワの約1マイル(1.6km)西にあるワイアルアは、かつてはプランテーションの町だった。町の中心には、1996年に閉鎖されほこりをかぶったワイアルア製糖所Waialua Sugar Millがある。この閉鎖によって、オアフ島における砂糖の商業生産は終わりを告げた。

ワイアルア一帯は今も不況を脱しておらず、周辺の畑の多くはサトウキビが伸び放題になっているが、新しくコーヒーの木が植えられているところもある。コーヒーは手間のかかる作物なので、新たに職を創出する可能性を秘めている。坂を下ってワイアルアの町へ入るとき、整然と植えられたコーヒーの木々が見えるはずだ。

現在はコーヒー生産の本部として使われている旧製糖所は、コーヒー豆を選別、乾燥させているラックでいっぱいだ。見物してまわってもいいが、ビジターセンターが閉鎖されてしまったので、見るべきものはそれほどない。そのほかの見どころとして、この静かな町には歴史的建造物がいくつかある。一番おもしろいのは、地元の酒場シュガー・バー&グリルSugar Bar&Grill。製糖所の近くにあり、かつてはハワイ銀行の建物だった。

ハレイワとディリンガム飛行場の中間には、教会が所有するキャンプ・モクレイアCamp Mokule‘iaがあり、予約すれば誰でも利用できる。キャンプ場の一部はアイアンウッドの林の木陰になっており、海に面した一画に広がっている。シャワー、トイレ、調理エリアなどの設備は清潔で簡素だ。

地元住民の大半が行きつけにしているシュガー・バー&グリルSugar Bar&Grillは、プランテーションの町のファンキーなバー。観光客、サーファー、島のバイカーと、不思議な組み合わせの客が集まるこの店は、特に人の多い冬になれば、ほぼ毎晩やっているようだ。

モクレイア&その周辺

ファリントン・ハイウェイFarrington Hwy(930号線)は、トンプソン・コーナーからディリンガム飛行場とモクレイア・ビーチMokule‘ia Beachへと、西へ延びている。この道路もワイアナアエ・コースト沿いの道路もファリントン・ハイウェイという名前だが、2本がつながっているわけではなく、どちらもカエナ・ポイントの約2.5マイル(4km)手前で途切れている。

モクレイア・ビーチは、カイアカ湾Kaiaka Bayからカエナ・ポイントまで6マイル(9.6km)にわたって延びている白砂のビーチだ。米軍兵や地元住民の姿は見えるものの、それほど人が多いビーチではない。唯一ビーチ施設があるのはモクレイア・ビーチ・パークMokule‘ia Beach Parkで、一番近い店でもワイアルアまで戻らなければならない。ディリンガム飛行場はハンググライダーやスカイダイビングの離陸ポイントとなっている。

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注目情報

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Photos c 記載の写真家。Lonely Planet Images より掲載、使用許可は右記のURLから可能 www.lonelyplanetimages.com

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