
2月
時は12世紀。ある粉屋が、別の粉屋の娘と結婚することになった。ところが、封建時代の常で、当時町を支配していた暴君の領主ビアンドゥレート伯ラニエーリは、町の娘が結婚するときには、まず自分のものにしてから嫁がせることを原則にしていた。これに憤慨した威勢のいい粉屋の娘は、覇気のない町の人たちを奮い立たせて一揆を起こしたのだった。 写真を拡大する⇒
人々には馬もなく、武器は石だけだったが、町の中を走り回る馬車に乗った領主の兵士に徒歩で石を投げつけ戦った。この捨て身の蜂起の話は代々語り継がれ、数世紀後、この反骨精神を口実に毎年カーニバルの前後に地区同士の対決が行われるようになった。19世紀の初めにナポレオンがこのあたりを占領したとき、ナポレオン軍の行政官は、町民全員に革命色である赤の帽子(フランス革命で革命軍がかぶっていた赤い帽子に由来)をかぶるように命じた。また、きわめて危険な対決の伝統に「待った」をかけ、歴史的に名高い一揆を再現するにあたっては、今後はオレンジを使うようにと命令した。
こうして今では、3日にわたる祭りの間、9つに分かれた「革命家」チーム(総勢3500人)が、この日のためにシチリアから取り寄せた40万kgものオレンジをぶつけ合うようになった。赤い帽子をかぶらずに、つぶれてぬるぬるになったオレンジに足を取られていると、だれであろうと「反乱軍」の攻撃の対象と見なされ、オレンジの集中攻撃を受ける。
オレンジ合戦は、昔からキリスト教の四旬節の直前に開催されるカルネヴァーレ・ディ・イヴレアIl Carnevale di Ivreaの一環だ。カルネヴァーレ(カーニバル)の始まりは、木曜に開かれるオッティネッティ広場Piazza Ottinettiでの舞踏会。土曜日の夜には、ムンニャイアmugnaia(粉屋の娘)をはじめ、中世の衣装を身にまとった人や、ナポレオンの兵隊に扮した行列が、花火やたいまつの中、町を練り歩く。そして翌朝には、マレッタ広場Piazza Marettaで「プレダ・イン・ドーラPreda in Dora」という厳粛な儀式が行われる。暴君の封建的な規則に対抗した一揆の象徴として、町のリーダーがドーラ川に石を投げ入れるのである。日曜の午後になると、カーニバルのメインとなる仮装行列が太鼓や旗を持った人と楽隊を引きつれて町を歩き、いよいよオレンジ合戦のスタートだ。戦いは「告解の火曜日Martedì Grasso(直訳すると肉食の火曜日)」まで続き、翌日の「灰の水曜日Mercoledì delle Ceneri」にはボルゲット地区Quartiere Borghettoで、ポレンタ(トウモロコシ粥)と塩魚を食べる屋外の宴会が催される。これが終わると、四旬節の断食が始まるのだ。
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