
ヴィラ・アドリアーナ(ハドリアヌスの別荘)とヴィラ・デステ(エステ家の別荘)
ローマ東部のみすぼらしい住宅街を抜けるとすぐ、丘の上のにぎやかな町、ティヴォリに到着する。ルネサンス時代にはローマの富裕層の保養地、夏の行楽地だった町だが、何といっても、ユネスコの世界遺産に登録されているハドリアヌス帝のヴィッラと16世紀のヴィッラ・デステVilla d’Esteがあることで有名だ。 写真を拡大する⇒
棚田式庭園と華麗な噴水のあるヴィッラ・デステのほうが、アクセスは楽だし一見美しいのだが、ティヴォリまで足をのばす本当の意味は、ハドリアヌス帝のヴィッラにある。
夏の別荘だったハドリアヌス帝のヴィッラは、大きなヴィッラ(屋敷)というより小さな町といったほうがいい。118〜134年に建設され、ローマ帝国の水準で考えても、破格といえる豪華さだ。入口近くにある模型を見れば、もともとのヴィッラ全体のスケールがわかるだろう。見学して回るには数時間はかかるはずだ。
とびきりの旅好きにして熱心な建築家だったハドリアヌス帝は、旅先で見た建造物からアイデアを得て、このヴィッラのほとんどを自ら設計した。現在入口となっている、ポルチコのある広大な貯水池、ポイキレPecileは、昼食後に皇帝が散歩をした場所で、アテネの建築物を模造したものだ。同じように、カノプスCanopoはアレクサンドリア近くのセラピス神の神殿を模したもので、長い水路はナイル川を表している。もとは水路沿いにエジプトの彫像が並んでいた。
ポイキレの東側に立っているのが、この遺跡のハイライトの一つ、ハドリアヌス帝の私的な隠れ家といえる海の劇場Teatro Marittimoだ。かつては旋回橋が、人工池の島に立つこの小さな館へ行く唯一の通路だった。水浴びがしたいとき、皇帝はその橋を上げていたという。その近くの養魚池は地下回廊に囲まれており、ハドリアヌス帝のお気に入りの散歩コースだった。ほかにも、ニンファエウム(泉があり彫刻などで飾られた、聖所、貯水、集会のための広間)、神殿、兵舎、そして現在も続いている調査の最新の出土品を展示した博物館がある。これまでの調査で、砂の中にスチーム管を埋めた暖房ベンチや、馬や荷車が通る地下通路網などが発見されている。
建物内部よりも外部のほうが印象的なヴィッラ・デステは、もとはベネディクト修道院だったが、1550年にルクレツィア・ボルジアの息子、イッポリート・デステが豪華で贅沢な屋敷へ改築した。1865〜1886年までここで過ごしたフランツ・リストは、この館にインスピレーションを得て、「エステ荘の噴水Fountains of the Villa d’Este」を作曲している。
建物に描かれたマニエリスムのフレスコ画も一応見学して損はないが、ここを訪れる一番の目的は素晴らしい庭園だ。水を噴き出すガーゴイル(大口を開けた怪獣形の吐水口)が並んだひな壇式のテラス、木陰の小道、重力だけで動く見事な噴水と、見どころがいっぱいだ。かつてオルガンを奏でていた噴水や、鳥のさえずりのような音をたてる噴水もある。ローマの名所のレプリカで装飾されたロメッタの噴水Rometta fountainは見逃せない。
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