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イタリア完全踏破|ピサ - MSNトラベル×ロンリープラネット

イタリア

ピサ

世界最大の欠陥建築へようこそ

ピサ

Jon Davison

短い間とはいえ、かつてはジェノヴァGenovaやヴェネツィアVeneziaと海運国の覇権を争ったピサだが、現在は“斜めになった塔Torre Pendente”という、ひどい欠陥建築のある町として有名だ。しかし、斜塔が立つミラコリ広場Piazza dei Miracoliの緑の芝生にはほかにもロマネスク様式の優れた建築物がふたつあり、イタリアで最も忘れがたい広場の座をヴェネツィアのサン・マルコ広場Piazza San Marcoと争っている。写真を拡大する⇒

また、何世紀も昔からの大学町で、常に学生の姿があふれている。

 

歴史

起源はギリシャ時代

ピサの起源はギリシャ時代にさかのぼると考えられている。ローマの支配下で重要な海軍基地となり、その後数世紀にわたって大きな港として栄えた。ピサのいわゆる黄金期は、独立した海運国としてジェノヴァやヴェネツィアのライバルとなった9世紀後半に始まる。黄金期は12〜13世紀になっても続き、ピサはその間、コルシカCorsicaやサルデーニャSardegnaのほか、本土の海岸の大部分(南はチヴィタヴェッキアCivitavecchiaに至るまで)を支配下に置いた。素晴らしい建造物の大半はこの時期に建てられたもので、特徴的なピサ・ロマネスク様式もこの頃に広まった。

神聖ローマ帝国皇帝とローマ教皇との間に激しい抗争が繰り広げられた間、ピサはギベッリーノGhibellino(皇帝派)を支持したため、対立するグェルフGuelfo(教皇派)のシエナやルッカ、フィレンツェといったトスカーナ地方の他都市と対立することとなった。ピサが大打撃を受けたのは、1284年のメロリアの海戦でジェノヴァの艦隊に壊滅的なまでに破れたとき。1406年にはフィレンツェに屈することとなったが、メディチ家のおかげで芸術や文学、科学の発展が推進され、大学も再建された。ピサが輩出した偉人、ガリレオ・ガリレイは後にこの大学で教鞭を執った。

 

オリエンテーション

ピサ中央駅は市の南端

鉄道のピサ中央駅Stazione Pisa Centraleは市の南端にある。長距離バスのターミナルは駅近くのサンタントニオ広場Piazza Sant’Antonioに面している。中世の町の中心があったのはそこから800mほど北に行った、アルノ川Fiume Arnoを越えたところ。ミラコリ広場Piazza dei Miracoli(ドゥオーモ広場Piazza del Duomoともいう)は、さらにそこから650mほど北だ。

マップ

ピサ
注目情報

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