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イタリア完全踏破|ペルージャ - MSNトラベル×ロンリープラネット

イタリア

ペルージャ

サッカーでも有名、おしゃれな学生の町

ペルージャ

John Elk III

中世の丘の町が維持されている点で、イタリア屈指のペルージャは、文化イベント、おいしいレストラン、コンサートが多い、しゃれた学生の町でもある。写真を拡大する⇒

ペルージャには激しく血塗られた過去がある。ウンブリア人はペルージャの周辺地域に住み、現在のトスカーナ州からマルケ州の一部の地域を支配していたが、この町を築いたのは紀元前6世紀に繁栄の頂点に達するエトルリア人だった。そして紀元前310年には、ローマ人の手にわたり、ペルーシアPerusiaと呼ばれるようになる。中世の時代は、バッリョーニ家とオッディ家の反目と近隣都市との激しい争いに苦しめられた。13世紀半ば、ペルージャはしょく罪として自らをむち打つ奇妙な宗派、鞭打苦行派の拠点となる。1538年には、教皇パウロ3世の教皇領に組み入れられ、ほぼ3世紀間教皇に支配される。この時代にペルージャは教皇派として、近隣都市の多くと争った。

ペルージャには強い芸術的、文化的伝統がある。15世紀にはフレスコ画家のベルナルディーノ・ピントゥリッキオとその師でラファエロを指導したピエトロ・ヴァンヌッチを輩出した。またトスカーナ出身の偉大な画家フラ・アンジェリコとピエロ・デッラ・フランチェスカもこの町に魅了された。現在、1925年に設立された外国人大学Universita per Stranieriでは、イタリア語のコースが設けられ、世界中から何千人もの学生を集めている。

 

オリエンテーション

見どころは11月4日広場のまわりに集中

古くからあるペルージャの目抜き通り、(ペルージャ出身のピエトロ・ヴァンヌッチにちなんだ)ヴァンヌッチ大通りCorso Vannucciは、イタリア広場Piazza Italia(バスやタクシーが集まる)から南北に走り、レプッブリカ広場Piazza della Repubblicaを抜けて、旧市街の中心地にあって大聖堂duomoとプリオリ館Palazzo dei Prioriに接する11月4日広場Piazza IV Novembreに至る。この章で取り上げるほとんどの場所が、人が集まるこの広場から歩いてすぐのところにある。長距離バスをパルティジャーニ広場Piazza dei Partigianiで降り、そこからスカラ・モービレscala mobile(エスカレーター)に乗ってイタリア広場に上がる。鉄道の駅(正式にはペルージャ中央駅フォンティヴェッジェPerugia Fontiveggeというが、表示は単に「ペルージャPerugia」)から7番のバスまたは11か15番に乗れば、イタリア広場へ行く。ペルージャの地元の交通は、アッツィエンダ・ペルジーノ・デッラ・モビリタAzienda Perugina della Mobilita(APM)が運営している。

マップ

ペルージャ
注目情報

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