ネパール

ロンリープラネット コラム集

生き神クマリ

カトマンズ

ネパールには、神、女神、多神教の神、菩薩(仏陀に近いもの)、権化(神の化身)、霊魂の顕現などが数え切れないほど存在して人々に敬われ、像、偶像、絵画、象徴になって崇められている。しかし、ネパールには実際に生きた女神も存在するのである。母なるクマリ女神Kumari Deviは幼い少女で、カトマンズのダルバール広場Durbar Squareのすぐそばの、クマリ館Kumari Bahalといわれる建物に住む。

生き神を祀る慣習は、カトマンズのマッラ王朝の最後の王、ジャヤプラカーシュ・マッラ王の時代に始まったといわれている。プラカシュ・マッラ王の時代は、1768年にプリティビナラヤン・シャハによるカトマンズ盆地の征服で、突如として終わりを告げる。ネパールでは、どんな質問にも答えはひとつではないのが普通で、クマリに関しても、いくつもの言い伝えがある。

そのひとつは、幼児愛症者のマッラ王が思春期前の少女と性交渉を持ったというものである。それが原因で少女は死んでしまったので罪の償いに王は若い娘を生き神として崇拝するようになったという。ほかには、マッラ王のひとりが、よくカトマンズ盆地の守護女神のタレジュとサイコロ博打をしていたという話もある。王が大勝ちした時、女神は怒ってもう盆地を守らないと脅したが、その後態度を和らげ、代わりに若い娘となって戻ることを約束した。

また、別の話では、ひとりの少女が大女神ドゥルガに取りつかれ、王国から追放された。これを知って激怒した女王が王に命令し、その少女を連れ戻して、真の女神として崇めるようにしたといわれる。

背景はともかく、カトマンズ盆地には多くの生き女神がいるが、クマリ女神、またの名をロイヤル・クマリが一番重要な存在とされている。クマリはネワール族の金・銀細工師の特別な階級(カースト)から選ばれる。しきたりでは、4歳から思春期までの娘で、目の色、歯の形から声の質にいたる、32にも及ぶ身体的な細かい特徴の基準がもうけられており、そのひとつでも欠けていてはならず、もちろん、星座も適合していなければならない。

選考基準に合った候補者が見つかると、その少女たちは暗くした部屋に集められる。その部屋ではものすごい音がして、グロテスクな水牛の頭がいくつも置かれており、恐ろしげな面をかぶった男たちが踊っている。そのような状況でも、本物の女神であれば、特にドゥルガの化身ならば、決して恐れたりするはずはない。つまり、この試練の間ずっと冷静で落ち着いていられた少女が、新しいクマリとなる。ダライ・ラマを決める時と似たやり方だが、クマリは最終テストとして、前任者が身に着けていた衣服と装飾品を選ばなければならない。

クマリに選ばれた少女は家族とともにクマリ館に移り住み、外へ出るのは、6回の年中行事の儀式で姿を現す時だけである。一番壮観なのは9月のインドラジャトラの大祭で、クマリは寺院の巨大な山車に乗って市中を3日間にわたり練り歩く。この祭りの時に、クマリがネパール王を祝福するのが恒例となっている。

クマリが役目を終えるのは、初潮を迎えた時か、事故などで大量に出血した時である。いったん、成熟の最初の兆候である初潮を迎えると、クマリは普通の人間の身分に戻され、次の新しいクマリ探しが始まる。女神として務めている間の費用は、すべて寺院によって賄われ、役を降りる際には、かなりの額のお金が渡される。元クマリと結婚するのは不幸だといわれているが、甘やかされるのに慣れてしまった元女神を妻にするのは大変な苦労だろうというのが、真相のようだ!

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