ネパール

ロンリープラネット コラム集

ゴータマ・シッダールタ

タライ&マハーバーラタ山脈

2500年前、ヒマラヤ山麓の地方には、ガンジス平原に拠点を置く大帝国の属国であった小さな共和国や公国が点在していた。ゴータマ・シッダールタは、カピラバストゥ共和国を治めていた(シャキャ族Sakyaの)スッドーダナと、近隣の国デワダハDewadahaの首長の娘であった(コリヤ族Koliyaの)マヤ・デビとの間に生まれた。

一説によれば、マヤ・デビは懐妊後10カ月目にデワダハの実家を訪ねようと決心したそうだ。カピラバストゥから行くには、途中でルンビニの森を通らなければならなかった。そこは、サラノキに囲まれた池がある、有名な美しい森だった。紀元前563年5月、一行がルンビニに到着した日、サラノキの花が満開だったので、マヤ・デビは足を止めて、景色を愛で、池で沐浴した。池から出ると突然、陣痛を覚えた。そして、25歩あゆんだところで右手を上げ、垂れ下がっていた菩提樹の枝をつかむと、王子が誕生した。

マヤ・デビの一行はカピラバストゥに戻り、そこでシッダールタ王子は世間から隔離され、特権的な教育を受けて育った。29歳の時、城門を出て町をぶらぶら歩いていると、老人と病人と死人と修行者に出会った。苦と死に直面したこの体験にかり立てられるようにして、シッダールタはぜいたくな暮らしを捨て、カピラバストゥを去った。

それから5年間、シッダールタは存在の本質を理解しようと努めた。主に苦行者として各地を遍歴した――明らかに、今日のヒンドゥー教のサドゥー(遊行僧)によく似ている――が、極度に自己を否定しても答えは得られないとわかった。結局、インドのブッダガヤBodhgayaの菩提樹の下で49日間瞑想した末に、シッダールタは悟りを開いたのだった。そして、ブッダガヤからバラナシVaranasiの近くのサールナートSarnathへ赴き、最初の説法を行った。

ブッダはその後46年間、“中道”を説いて回った。苦は人生の本質であるが、愛着、欲望、妄想によって引き起こされるので、これらのネガティブな力を(尊い“八正道”にしたがって)抑制すれば涅槃に到達できる、と考えたのだ。

ブッダはカトマンズ盆地を訪れたと信じている人もいるが、その確かな証拠はない。説法のほとんどは、北インドとガンジス平原で行われた。そして、80歳の時、ルンビニの約100km南東のゴラクプルGorakhpurに近いクシナガルKushinagarの地で入滅した。

神格化されるのを拒否したにもかかわらず、ブッダの生涯に関連のある主要な場所(ルンビニ、カピラバストゥ、ブッダガヤ、サールナート、クシナガル)はすぐに巡礼の中心地となり、僧院や寺院があいついで建立された。カピラバストゥの遺跡はルンビニの27km西のティラウラコットTilaurakotにあるが、デワダハの場所については最終的な確認ができていない。

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