
「ラーマーヤナRamayana」すなわちラーマの冒険物語は、ヒンドゥー教文学の中で最も愛され、最も影響力の大きい物語のひとつである。見目麗しいラーマは勇気と徳を具現し、美しい妻シタは献身的な愛と純潔を体現する。ラーマの味方である、忠実な猿の神ハヌマーンとともに、二人は英雄となり、大人気を博している。あらゆる偉大な神話の原形と同様に、二人は人間の魂(プシュケー)の中に永続性をなんとか見出したのだ。
この伝説は少なくとも事実に基づいているようで、最初は村のあちらこちらの炉辺で語られた。「ラーマーヤナ」が初めてサンスクリット語で永久に書きとめられたのは、おそらく2400年も前のことであり、賢者にして詩人であるヴァールミキの手によるといわれている。それ以来、インド半島中で人々の生活と想像力の一部となり、またさまざまに形を変えて、バリ島にまで伝わった。バリ島では、今日なお「ラーマーヤナ」の人形芝居や舞踊が演じられている。
ラーマは、ランカー(ひょっとするとスリランカのことかもしれない)の王である恐ろしい魔王ラーバンと戦ってほしいという神々の要請を受けて生まれた、ビシュヌ神の化身である。莫大な富を持つ王の第1王子として、アヨーデャ(ジャナクプルの350km西)で再び誕生したのだ。見目麗しく、徳が高く、強靭なラーマは、人々の、特に異母弟のひとりであるラクシュマンの崇拝の的として成長を遂げた。
ミティラ王国では、善良なジャナク王が、ラクシュミ神の化身である赤ん坊のシタが耕地の畝に横たわっているのを発見した。シタも賢く美しく成長した。あまりにも多くの男性から求婚されたので、ジャナク王は彼らを試した――シタと結婚する者はシバ神の弓を引かなければならない、と。もちろん、ラーマが弓を引いた。そして、シタと目を見つめ合い、神の愛を知った。
ラーマと3人の異母弟は同時に結婚式を挙げた――弟たちは近隣の王女たちと結婚した――ので、盛大な祝宴が催され、天から花が降り注ぎ、華麗な行列が平原を進んだ。だが、ここで事態は暗転する。
アヨーデャに戻った後、ラーマとシタは邪悪なせむしのマンタラの陰謀のために城を追放されてしまったのだ。追放の身となってさまよい歩いている間に、ラーマとラクシュマンは黄金の鹿に気をとられ、シタは魔王に誘拐されてランカーに連れ去られてしまった。幽閉されたシタは、ぞっとするようなラーバンの求愛から身を守らなければならなかった。
その間、ラーマとラクシュマンは猿の王国と同盟を結んだ。とりわけ、不屈の猿の神ハヌマーンは彼らのために力を尽くした。ハヌマーンの忠実な助けを借りて、シタはようやく救出され、ラーバンは滅ぼされた。
しかし、不幸にも、シタにとっては事態はあまり改善されたとはいえなかった。炎に身を投げて純潔を証明する神判を受けなければならなかったのだ。アヨーデャの王となったラーマはシタの潔白を信じたが、臣下たちが信じなかったため、シタは再び追放されてしまった。シタはラーマの双子の王子を生み、後に一族は和解したが、死ぬほどの苦しみはもうたくさんだとシタは心に決め、大地に飲み込まれていった。
物語はさまざまに形を変え、多くの芸術形態においても、英語を含むいろいろな言語においても記録されている。この要約を読んで物語全体の迫力と機微を想像しようとするのは、マッチを見て木を想像しようとするようなものだ。
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